Hand Tools_手工具

THANX!!! 帝国ホテルでの展示会へ向けて、制作が山を越える。
家具作家として認めていただいていて光栄ですが、小生のライフワークは祖父、父の代から作り続けている厨子仏壇です。
工房に伝わる伝統的な作品とともに創作してきた「祈りのかたち」が、縁あって銀座天賞堂社長N氏の目にとまり、今回の展覧機会をいただくことができました。
自然への敬意と感謝、宗教や国にとらわれない人や家族のルーツや未来をテーマに、これからの生活空間での「いのりのしつらい」をかたちにしたものです。
指物と呼ばれるこういった仕事は、電動工具や、CAD等の助けを借りながらも、最後は手工具がないとお話しになりません。もの覚えやもの忘れが気になる歳になっても、若い頃体で覚えた感覚は、まるで手が頭脳をもったかのように自然に動いて不思議。この一ヶ月、修業をした若い頃を反芻しながら、古くて新しい新鮮な手作りを楽しむ機会を頂いています。
機械の騒音が消え、静寂の中、S.フランソワのラヴェルとともに、削る音と刻む音の中で時間が無心に過ぎてゆきます。
〜絹ずれの音が聞こえて・・など、日本の格調高い静けさというものの表現がありますが、昔から僕達が「ただ」だと勘違いして消費してきたきれいな水、空気、静寂といったお金で得られないものが現代は利得や価値観を超え、あらゆる人類の共有財産となったような思いがします。薪や炭のはぜる音、松籟(しょうらい)、爽やかな風の音など自然が発する音に比べ、モーターやエンジン等の人工音は余り心地のよいものではなく、そういった騒音が満ちた猥雑な環境からは高貴なものは生まれてこないのではないでしょうか。

父が残した大切な胴付き鋸、何十年も使い続けた自分の鉋は、切れ味も美しさも磨かれてきて、木工仲間S女史から譲りうけたボールペンを仕込んだ豆毛引は、滑るように滑らかな線を描きます。(いいものを譲っていただき感謝です) 機械がものを作る時代、手間はかかっても、今まで培ってきた技術と惜しみない時間、自分らしい充実感を味わいます。

手工具さまざま
胴付鋸
1.5ミリほどのほぞを作るのに欠かせない胴付き鋸は宝物 No.1。
父の代から長い間手入れをしながら使い込み、鉄が深い味わい深い黒褐色のひかりを放っています。
使い捨ての鋸はよく切れても、腰が弱くて使い心地が悪いものですが、すでに東京には刃をうまく作り直してくれる目立て職人がいないようで、いつまで使うことが出来るのでしょうか・・・この機会にと桐の木で保護カバーを作りました。

際鉋(きわがんな)
内隅(うちずみ)をきりっと仕上げるのに欠かせない際鉋は、大小五対(左右一組)ほどあり、刃の仕込み角を53度で作ると一枚刃で逆目を押さえることが出来ます。これは最も小さく長さ7cm。組みあげる前に漆を塗る仕事は、調整するときに金と同じ堅さの漆を削ることになって、刃がこぼれやすく、僕の鉋の刃はHSS鋼と決めています。際鉋は片側に押さえのない台に刃がはまる構造、作ってから数年は赤樫の木が不安定で、使うたびに調整を繰り返します。最近はどうやら馴染んでご機嫌がよろしい。
しかしこういう細工を機械仕事にすると、ルータかトリマーで、大ごとになり、回転する刃物の痕を消すのに手間がかかり、うるさくて屑やほこりがたちこめ、ストレスが大きくて仕事が面白くない。なぜか最近の電動工具はすぐ壊れて直すことも出来ず、金もかかり捨てると有害な廃棄物となります。手仕事・・熟練した自分の手がスッと動いて一瞬で仕上がるのは気持ちのよい代え難い感動です。

毛引き
線には太さがないもので、刃物でスミツケをしますが、この道具を豆毛引きと呼び、やはり自分で作るものです。(鉋でもなんでも小さいものは名前の前にに豆を付けます)極度に細い線のことを「毛」と呼ぶ習慣で、髪の毛一本分と言い表すとされますが、現実はもっと細く、髪の毛を十分の一ぐらいに裂いた太さといえばよろしいでしょうか。

鉋で作る最も小さな面の大きさを表現するとき、「糸面」と呼び、これは糸のように美しくカールした鉋屑がでてくることからの言い表しだと思います。計ってみると糸面の巾は0.2ミリのときもあり、0.5ミリの場合もあり、0.何ミリと表さずに「糸」と統一するのは、全体のバランスの読みを作り手の感性にゆだねるからで、美学といえます。美しい面とりは工芸品にとって重要で、数値指定からは決して生まれないものです。


鑢(やすり)・つかみ・タップ
指物には錺(かざり)金物がつきもので、工房にも昔から金工道具があります。
職人は店に売っていない道工具を工夫して作ることによって、自分ならではの仕事をするのを楽しみとしていますが、
「つかみ」というのは自製の工具に自分で付けた呼び名であやしいもので、細かい部品などを掴んで細工するのに手放せません。
ねじ、ビス、ボルト(この呼び方には定説がないようですがどなたかお教え下さい)に関するハンドツールは、日本には最近までろくなものがなくて、いいものは西洋に多いのは機械文明先進国だったからでしょうか。若い頃東急ハンズで手に入れた愛用のタップ立ては、「Starrett.No.94-A」と刻印され、気配りが美しい姿に表れていて、このような工具は持っているだけでも楽しいものですが、お金で手に入る道具というのは、なんとなく張り合いがないものです。

鑿・小刀・刻印用三角刀
小刀類は木工の基本、素朴な刃物で種々様々な形があります。ほとんどは木工職人の要望によって鍛冶職人が作ったものが原型となっているようです。このころから「J」を刻印にしましたが、この両刃は92年に作りました。片刃を仕立て直して一位の木に仕込んだ愛用品です。

刻印の構成要素の矢型を彫るために作った三角刀と鑿です。このような刃物は昔から鑢をナマして作り焼きを入れます。シャープな切れ味を出すために柄を金属で作り、滑り止めに凧糸を巻いたり工夫しました。
漆塗り仕上げの作品に彫りますので三角刀の材質はやはりHSSです。
いまのところ気に入っている J を彫るのに恐らく一生使うことになるでしょう。

  
1928年に父が作った小さい外丸鉋は僕より20も歳上でもちろん現役です。一般には手仕事より機械仕事の方が早いと考えられていますが、こういった仕事は逆で、時間とエネルギ消費は断然機械のはうが大きく作業にも危険が伴いうるさいもので、仕事をする環境も、僕達の思想や魂を育む大切な要素です。


大陸から伝わり、いらない物を捨て去りながらエッセンシャルな構造が伝統となった日本の台鉋ですが、室町時代 (もっと古くからあったのではと、首里城や正倉院をみて感じます) から変わらない形は驚きで、現代の道具にはこれほど長く使えるものがどれほどあるでしょうか?刃がすり減った暁には供養をしたいと思っていますが、まだまだ使えます。

「永」と銘が彫ってある父の鑿。
地金が研ぎやすく甘切れでしっとりとした切れ味。これも大変美しく宝物ベスト3に入ります。
 



今日も仕事を目指す若者が工房を訪ねて来ました。
いまどきのはやりじゃないからやめたほうがいい・・お金に苦労をするよ・・夢を見て輝く瞳に接して僕が出かかった言葉を飲み込むのは、経済の発展とその国の文化度は比例しないことをバブルの時代に肌で感じたからですが、何より自分の好きな道、生きていくのに不利でも、自分の人生を自分の心に正直に歩もうとする姿が美しく、その国の文化というものはこういう若者の肩にかかっていると思うからです。



ご案内

このたび銀座天賞堂クリスマスフェア(12月2日・於 帝国ホテル3F富士の間)「アーティストコーナー」に、「小さな祈りのかたち」(厨子三点、像二点)を出展させていただくことになりました。

果てしない宇宙のなかで、人間がもつ崇高な行為 いのり・・
家族の平安、自然や祖先への感謝、未来への希望・・日本人が培ってきたさまざまな感謝と祈りのかたちは小生のライフワークです。
宗派と国境を超えることを理想とした「いのりのかたち」は、父祖が得意とした厨子、仏壇の技術を引き継ぎ学びながら、これからの生活空間での、祈りのあるべき姿への模索から生まれました。お忙しい時期と存じますが、ご高覧頂きたく、謹んでご案内させて頂きます。
末筆ながら、寒さ厳しくなる折り、ご健康とご活躍をお祈りします。

ご招待形式ですが、ご興味のある方は、会場をご案内させていただきます。
ご遠慮なく小生携帯 090-7273-2073へ連絡下さい。

前田純一  


島桑と緑青の円錐の厨子

小生の紹介

東京宝町に創業し江戸指物の巨匠と呼ばれた前田南斎の三代目である前田純一氏は、現在信州松本に工房を構え制作を行っています。前田氏の作品は江戸指物の精巧な技を基礎に据えながら、伝統的な指物の工芸品から受けるイメージとは異質な、モダンでシンプルな感覚が特長です。今回出展される厨子は、前田氏が作り続けている代表的な作品で、国・教を越えた「祈り」がテーマです。ゆたかな時が流れ、ゆたかな空間がともにある。作品はそんな日々のくらしを私たちに示してくれます。