通常縁の厚みは7mmから9mm、落としても割れないよう15mmから18mmと存外な厚みを想定した。盆の扱いやすさと美しさは縁次第だが、ぶつけやすい木口が割れないような、重い太い縁は余分が残り粗野で下品になりやすい。
取り去り過ぎるとよわよわしく貧相になり、しかも木工の場合は元に戻ることができず、ペーパーをかけない鑿や鉋の刃跡を生かす仕上げに迷いは禁物で、目標に向かう決断とスピードと潔さを求められる。
立ち上がりを45度にして手取りをよくすること、工夫した鑿で形に変化を与えるこことと、底を薄造りにすることで、実際の重さだけではなく、感覚的な軽やかさと品位を実現しようと図面をひいてはみたものの、こういった勘仕事は想像以上に難儀する。
縁の鑿目は、刃裏を平らに研ぎ上げる通常の鑿では、接線が神経質になって意に沿わない。上野の光悦にて買い求めた突き鑿の刃裏を、ゆるやかなアールに研ぎ直すことで、ようやくふっくらとしたやさしい満足のいく彫りとなった。
肝心の底は内ズミのラインをキリっと表現する必要がある。普通は引いて使う鉋だが、台尻を取りさった鉋を押して削り多角形の稜線を削り出すことにした。
鉋が削り出すさざ波紋は載せたものがすべることがなく、素材を生かした漆の仕事は五年も経つと美しく変化して輝きを増して永遠である。いいものに生まれ変われば、木と漆はいつまでも僕達と共存可能な素材で、手工具と人間の手が作り出す微妙な手触りに心が安らぐ理由は、人工素材を使う現代の機械仕事のように画一的でないことと、人の不完全さが醸し出す美しさといったものだろうか。完全を求めて個性を失い、不合理で美しくなくなってしまうことと対照的である。
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