061225_市民タイムス掲載記事

 

「創・の現場を訪ねて」、という記事に小生もとりあげていただくことになり、白澤幸恵さんが取材に見えました。
市民タイムスは松本市を中心にした地方新聞で発行部数は7万部ほど。インターネットはじめ AM・FMなど、僕のようにTVがなくても大きな事件などのニュースは情報が充分な現代は、むしろマスメディアに載らない地元密着型のコミュニティーや文化活動、創作活動などの記事が楽しく、紙面が興味深く一市民として貴重な存在です。

信州は木工作家の数は日本一ではないかと、木の匠たち・をまとめてくださった西川氏のお話ですが、ほかにも様々な分野の方が数多く創作活動をしています。地域的にも木曽から安曇野まで広範囲にわたり、そういった作家の方々の生き方と作品を、シリーズで取り上げてくださっています。江戸指物、伝統工芸ってなんですか?という若い方らしい素直な疑問に、「かたちを継承する」ことだけにとらわれていて、この仕事は過去の存在になりかけている・・と思う小生、数時間の取材中質問にお答えしながら、伝統とはなにかを自身で振り返るいい機会となりました。クリスマスに発行していただきうれしいです。

THANX!!!


「創る・の現場を訪ねて」


「伝統的な感性 形に」(白澤幸恵)

大量生産、大量消費が美化された高度経済成長期、日本のものづくりは変わった。職人技を伝承する人は減り、家を建てる材木は建材になり、学校で使う机も木製からスチール製の「命のない工業製品」に切り替わっていった。

オフィス家具メーカーに身を置きながら「消費社会は人間を良くしないのではないか」と思わずにはいられなかった。

毎日勤めから帰ると、細々ながら確かな技で江戸指物(さしもの)を作る父親の姿があった。「自分が継がなければこの仕事はなくなってしまうとも思った」。二十五歳で会社を辞め師事した。

指物は、ほぞで板や棒を組み合わせる伝統的な木製品だ。特に江戸指物はきゃしゃで粋で「極限の薄さを追求しながらも削るごとに大きく強くみせるもの」だという。父を見習って技を身に付けた。

三十歳の若さで日本工芸会木竹部正会員となった。「伝統的な感性を結果的に形に表す」ことに専心し、江戸指物師の三代目として精巧な技を土台に、鉄や銀、鋼、革なども取り入れたモダンでシンプルな独自の工芸品を生み出している。

自宅兼工房は、美ヶ原高原中腹の山あいにある。市街地から一時間近く車を走らせカラマツ林を抜けた所に広がる集落「三城」が気に入り、自ら設計して弟子たちと建てた。「自然と遊離しない、自然と一体感のある生活の中で使うものを作らなければいけない」。作品作りは人生をデザインすることと同じと考え、発想の場から手掛けたのだ。昭和五十九(一九八四)年に工房を移し、現在は四人の研修生と創作している。

作品が人の心に訴える心理的機能を大事にする。その機能があるものは使い続けられ、美を増し、やがて伝統になると考えるからだ。その上で「未来の生活様式を創造して」、神社の鳥居の曲線など日本人の美意識に訴える曲線を表出させ、使いやすく丈夫なデザインを練る。日本の日常生活にいすやテーブルが入り込んだのは、たかだか半世紀前。日本の民族性や暮らし方と融合させ「日本のものにしていく途中がいま」だと思っている。

若い作り手に、伝統的な木工技術という文化を伝承したいと願い昨年、特定非営利活動法人(NPO法人 「三城シューレ」を立ち上げた。

「暮らしの中で日本人の伝統、つまり習慣や美意識といった精神性も学んでほしい。それが形になるから」と寝食をともにする。自身の意匠はNPOに寄託し、研修生たちはそれを見習って稽古(けいこ)″に励む。

「火を見ていると勇気がわくね」。薪(まき)ストーブを前に、二十年以上も前に作った原点ともいえる「僕の椅子(いす)」に座り思索する。「木には命がある。立っている木にはない機能と美しさを出せるものを作らなければ」と、自然に囲まれた暮らしの場で、万物に宿る命を思いながらの創造が続く。

     



日本人の精神性 1

取材にみえた時、作っている正月用の箸を一例にして、日本人の伝統、つまり民族の個性や習慣、美意識といったものごとは、伝わるかたちをいうのではなくて、精神性をいうんだよ、と白澤さんと始めた会話を振り返りながら、日本人である自分がデザインし、創る「かたち」とはどういったものなのかを、作品を顧みながら反芻してみることにする。



杉_Japan cedar
木口に漆のへら置き鍛鉄脚の座卓1998年



伝統的な形と摺りうるし仕上げの座卓2002年



聖徳太子二歳像

「かすみたつ春のひと日をのぼりきて杉植えにけり那智高原に」
今上天皇陛下昭和52年植樹祭にて

花粉症は排気ガスとの複合汚染が原因らしく、CO2汚染のなかった昔は薬もマスクは必要なかったから、それは樹のせいばかりではないと弁護したいが、もののいえない樹ばかり「やり玉」になり、不当にも嫌われることになった日本の樹「杉」は漆をJapanと呼ぶが如くに Japan cedar と呼ばれるがなんとも形勢が悪い。県木・県花があって、未だに国樹がないのは不思議で、制定するとすればこの樹以外に考えつかないが、屋久杉は有名になり、本州に当たり前すぎるこの樹を軽視する傾向は、かっての、とき鳥やメダカと同じく、将来少なくなってから慌てて騒ぐ人間というものだろうか?
西洋で床に堅い木を使うのは室内を靴で歩く文化で、日本の西欧化というのか、日本でも妙に冷たく堅い木がはやり、我が国独特のスリッパというものが考案されたりしている。
この木で家具を作っても売れないから制作の機会は少ないが、僕の大好きな木のひとつ。全国どこにでも普通に自生しているが、美しい杢の出る板はなくなり、買おうとすると数十万、数百万円を超える貴重材となった。
昔は材木屋があって作り手が仕入れる必要もなかったが、現代は自分で手に入れなければならず、僕の買える範囲をとうの昔に超える値段となってしまったが、それは植林したり下草狩りをする人間が、陛下か、給料の出ない厳しい山仕事に携わってくださる我々のような木印(きじるし)以外になく、大量生産と大量消費で貴重な資源を費やすことになってしまったからといえるか。
神社仏閣日本の民家の木舞(こまい)壁はすべてが檜やこの樹といえて、そういういい家を見るといかにも日本だなあと感じるが、森林破壊は僕達の材料にとどまらず酸素まで減少して家具屋でなくても事は重大である。

この樹は世界で一族一種、我が国にしか存在せず、山でそびえていかにも素直な日本の風情を発散していて、直(すぐ)からこの名が付いた。(米スギというのは誤解される名で、こちらは檜の種類)軽やかで、板に挽くと肌触りは雪肌やもち肌のようにいかにも繊細、家具に仕上げたものは傷がつきやすく、使う側の扱い方にも心構えといったものが必要で修練しないとこの材料は生かせない。他の針葉樹と違い、柔らかいが春目と秋目の硬度差が大きく、甘くかかると木口を鉋で仕上げるのが難しく相当な修練が必要だった憶えがある。この柔らかさは子どもが頭を思い切りぶつけても大事には至ることもなくて、相手をいたわる武士道とか献上の美徳のような日本の心といったら考えすぎだろうか?

一般に松、檜、唐松といった針葉樹は長年使って傷つきながら美しさを増すのが魅力で、合板や新建材、プラスチックで固めたような似せものの木が横行している現代は、この木のよさは理解しづらい玄人好みともいえる。
その昔東京の料亭の座敷に似合う座卓は、杉の一枚板を摺り漆で仕上げたものにかなうものはなく、寿司屋、蕎麦屋、天ぷら屋の台は未だに檜と決まっていて、欅などの広葉樹には置き換えられないのはなぜだろうか。

西洋の香りは動物質から採り肉体に作用し、東洋の香りは樹木から採り精神に作用するといわれている。
削って漂ってくる滋味のある香りは気持ちを落ち着かせ、杉の葉は昔から線香の素材として使われていて、日本的な清々しい香りはいかにも伝統で和啓静寂・茶室の趣が漂う。
現在の酒造はステンレス等の容れ物で作られるが、昔は日本酒を造る樽に使われて杉の香りを尊び、そのために植林が始まったとの記述がある。