061220_日本人の精神性_白澤さんとの会話から 3 
ささやかな贅沢_箸・その2


家族の絆・一年箸
木曽檜の五行箸


侘びさびた古き良きものを伝承することと同居しているもうひとつの対照的な考え方、真新しい、精々しいものを尊ぶといった日本人の精神性は、樹の国においては、理にかなった自然素材の共通する使い回しと言えて、日本人が考え出した独特の知恵と言えるのではないでしょうか?
江戸時代に蕎麦、鰻を食べさせるお店、今で言う外食産業が生まれ、日本酒の酒樽材の余りの木を利用して考え出された割り箸は、清潔好きな江戸人の精神文化が生み出した日本の美しい道具で、利休型などの様々な割り箸が現代に伝わっています。
1978年頃から割り箸は環境破壊なのか、低利用材の有効利用なのかという議論が盛んになっているそうです。1990年の割り箸の消費量が1960年の6倍になり、日本人一人が年間200膳もの割り箸を消費している現状は、世界的な人工増加や外食やファーストフードやお弁当を食べる機会が倍増したことによると思いますが、適材適所に素材をまるごと生かし切ろうとした知恵は、端材も捨てては勿体ないといった工夫だったと実感するのは、子どもの頃父が使った樹の残りを日本橋にあった光湯という銭湯に持って行き、町内会の人たちと暖かい湯船につかった経験からかもしれません。


割り箸はサービスですから、価格に限度があり、日本産は割に合わなくなって、ほとんどが中国からの輸入品を消費することになったのですが、その量が膨大で、中国大陸が砂漠化してしまうという心配は緑に覆われていた過去からの歴史から頷くことが出来ます。
奈良の吉野では、特産吉野杉の端材の有効利用から割り箸を作っていましたが、今では採算が合わずに生産が減少して風前の灯と言った状況のようです。吉野という会社はなお端材を生かそうと、粗品として関係者に配っていますが、木が勿体ないという日本人の感覚は、割に合わなくても正しいことをしたいという人間らしさではないでしょうか。割り箸を使い捨てるために木を大量に切り出すのはもちろんいけないことですが、今では木で作る家や家具も少なくなった事で端材も出なくなり、木の使い方のバランスが崩れている事も原因だと思います。

我が家ではしばらく中国産の竹の割り箸を使っていましたが、最近の木竹材は防腐材や防虫防かび薬品に汚染されていて、化学塗装が施されているものもあり、アレルギーの原因にもなるもっとも危険な素材ということを知ったことがきっかけ、地球砂漠化温暖化とも合わせてロハスな箸を自分たちで作ろうということにしました。
前述、一生ものの「マイ箸」とは別の観点から、お正月に家族が今年一年お世話になるお揃いの新しい箸を拵えて、新年をすがすがしく迎えるといった日本人の感性に則った作品です。

「天削」

割り箸には「元禄、小判、長禄、利休」などの様々なかたちがあり、天削(てんそげ)というのは大正時代からのもので、頭の部分を切れる刃物でスパッと潔く切り落とした形が、生きのいい魚を包丁でさばいた刺身のような感覚でキリッとしています。

木曽檜で作った木地はいかにも清潔感にあふれて魅力的ですが、国産檜の価格は最高級の建具材では立米(1mX1mX1mの容積分)100万円にもなります。さすがに使い切りは勿体ないと、一年間、家庭で使える事を条件に漆を塗り丈夫にしました。木と漆という自然素材は廃棄しても土に還って、地球との循環、本当の意味でのリサイクルです。

西洋のように同じものを皆で使わず、日本の食器は個人使用が原則。懐石の作法のように洗剤で不必要に洗う必要もなく、日本のきれいな水が守られてきたのではないでしょうか。それぞれをおじいさん、お父さんの箸、おばあさんやお母さんの箸、男の子の箸、女の子の箸と、楽しく五色で塗り分けてみました。
日本の漆工芸には彫漆という伝統技法(色漆を何層にも塗り重ねて削ったときの層の美しさを生かしたもの・日本工芸会の音丸耕堂先生の作品が有名です。)があり、美しく彩った色漆と金箔を使って、五色を家族の個性に例えたものです。仏教では五行、「地・水・火・風・空」という大切な事柄をきれいな色で表しますので「五行箸」とネーミングしましたが、それほど深い意味ではなく「きれい」だからといった単純な発想です。

サッカーチームや会社でのユニフォームという感覚は、ファミリーで共有する一体感が絆となり、暖かい信頼感に溢れますが、「お揃い」は現代の家族にもっとも欠けているものではないでしょうか。社会を構成する最小単位が信頼し合い、愛情に包まれてこそいい世の中になるのではないかと思っていますが、このような箸が幸せな家庭に結びつけば本望です。
価格ですか? 一膳2千円。例えば五人家族が毎年暮れにこんな箸を新調して、すがすがしいお正月を過ごし、一年に一万円使うというのは、愛情のあふれたささやかな贅沢といえるのではないでしょうか。