松本中町蔵シック館にて
![]()

![]()
![]() 朝夕は、めっきり秋めいた松本、たくさんのご来場をありがとうございました
信州松本らしい町並み、中町の日本の蔵作りの建物は、ビルの会場とはひと味違った雰囲気、2階小屋裏展示の方々には申し訳なかったですが、エアコンがなくて大丈夫なのかとの心配をよそに、吹き抜ける風が爽やかで、日本の伝統空間の魅力を再認識しました。
窓を閉め切ることが当たり前になった居住空間の現代、縁側に腰掛け、通りすがりの道行く方達と交わす会話は、僕達の年代にはなにやら懐かしく、失いがちな社会との一体感を感じて、とかく個人主義的な暮らしになりがちな、日常を顧みるよい機会になります
土間や、板の間、畳、床の間、そして魅力的な小屋裏での展示は、空間が本物だけに、開催側のセンスが問われ、作品にも、空間に負けない力を要求されますが、信州の作家達は、さすがに手慣れていて、伝統と現代の調和という難問に、ひとつの姿勢とヒントを得たような気がします |
|||

![]() 心配だったご来場者数でしたが、サイトウキネンフェスティバルにみえた方々、松本の観光を楽しむ人たちも多数お見えになって、嬉しい誤算となりました。
|
|||
![]() 西川さんの司会による、各作家のギャラリートークも好評 作ることは得意でも、話すことが苦手な僕達にとって、これはなかなか難しい試練ですが、作者の作品への思い入れを代弁していただく方が少ないのは、時代の変化でしょう。
初めての集まりでの僕達もすっかり気心が伝わって、作ることが好きな人間って素晴らしいな・・との思いを新たにして心地よい疲れと思い出に包まれました 夜更けまでの会場準備や、苦手な販売仕事や、さまざまな作ること以外の仕事を、苦労しながらもどうやら無事終えたのは大勢の協力を頂いた地域の方々はじめ、真剣に学んでいる後輩達のお陰と改めて感謝の気持ちであふれます 本を書かれた西川氏、発刊にお力を頂いた誠文堂新光社の方々、中町商店街のみなさまへ、改めて御礼と今後とも相変わらぬご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
THANX
|
|
著者 あとがき 2006年3月 西川栄明 2005年の秋から冬にかけて、信州で暮らす個人の木工家を中心に取材へ出かけた。みなさんの経歴は多種いろいろ。その人の半生を聞いているだけでもおもしろい。 なぜ、信州を拠点にして木を使ってものづくりを始めるようになったか。どういうスタイルでものづくりをしているのか。どのようにお客さんと接しているのか。それぞれのスタンスはもちろん異なっている。それでも、その人の考えやポリシーというべきものの筋が通っているという面では共通していた。 ところで、取材を進めていくなかで、信州在住の木に問わる作家さんたちをプロフィールや活動スタイル別に、大雑把ではあるがいくつかのタイプに分けられるのではと思った。 まず、伝統工芸系。木地師や指物師などの家に生まれ育ち伝統技術を受け継いだ人たち、木漆工芸家や蒔絵師などに弟子入りして技を磨いた人たちだ。 次に、松本民芸家具系。松本民芸家具関連の会社に在籍し家具づくりを学び、その後、独立した人たち。 技術専門校系。上松、伊那、松本の各技術専門校で木工技術を学んだ人たち。卒業生で個人作家になっているのは、脱サラ経験者が多いように思われる。 美大・芸大系。大学で工芸デザインなどを学んだ人たち。作り手になっても、デザインセンスのよさが感じられる。 信州木工会系。長野県内在住の木工作家や職人たちが、情報交換や技術交流をはかるために結成した「信州木工会」に所属する人たち。 クラフトフェア系。全国的にも有名な松本のクラフトフェアに関わってきた人たちや、各地のフェアに出品している人たち。 独立系。まさにわが道を行く独立独歩の人たち。 私が勝手に考えた"系"だが、一人が一つの系だけに入っているのではなく、ダブつている場合のほうが多い。そのダブリが集合図のように重なり合うことによって、守備範囲が広くて奥行があるなあと思わせてくれる作家さんもいる。一方、独立系で味のある作品を生み出す人もいる。様々な"系"があるということは、信州の木工家の据野が広くて選手層が厚いということにつながるだろう。 また、昔からの伝統工芸技術や木に関する地場産業があったという土壌に、新しく信州に拠点を置いて家具やクラフト作品を作り出す工房作家が加わったことが、信州の木工イメージを膨らませているような気がする。 以前、私は『北の木仕事 20人の工房』(北海道新聞社、2001年刊)を上梓した。これは、北海道在住の木工作家やデザイナーを取材して執筆したものだ。そこで紹介した方々の作品展が、札幌芸術の森美術館工芸館や東京・新宿のリビングデザインセンターOZONEで開催されたこともあり、予想以上の反響があった。そんなこともあって、活躍している木工家の多い信州でも同じような本ができないものかと思っていた。 そこへ、誠文堂新光社の木工雑誌『週末工房』編集長である磯野貴志さんから出版企画の打診があったのだ。 最後に、お忙しいなか取材にご協力いただいたみなさんに、改めてこの場をお借りして深く御礼を申し上げる。この取材のためにかなりの時間を割いていただき、誠に恐縮至極である。また、写真撮影でお世話になった山口祐康さん、デザインの高橋雅子さん、いろいろな場面で手助けやアドバイスしてくださった方々に感謝の意を申し上げたい。 |

|
前田さんは東京・宝町の江戸指物師の家に生まれた。祖父は前田南斎。伊豆諸島の御蔵島などでとれた高級材の桑を用いて、精緻で品格を備えた工芸品を作り出す「桑樹匠」と呼ばれた。その南斎から、子の保三に指物技術が伝承され、さらに孫の純一へと技芸が引き継がれてきた。20代で日本伝統工芸展に何度も入選していた前田さんは、30歳で日本工芸会木竹部の正会員となる。 このようなバックボーンをみていると、粋を尽くした江戸指物を専門とするガチガチの伝統工芸家だと思ってしまう。が、実際は、伝統技術をベースにしながらも、やわらかい感性で次々と生活空間にマッチする椅子やテーブルなどを生み出す、現代的センスあふれる木工家なのだ。 用いる素材も木だけではない。かなりバラエティに富んでいる。鉄、銀、銅、真ちゅう、革、布、ステンドグラス。「違う材を使えば、素材同士の弱点をカバーできる。いいところの力を合わせれば、さらにいいものができる。例えば、玄能や包丁のようなものだってそうでしょう。木の柄と金属の部分が一つの道具になっている」 前田さんが愛用し、「僕の椅子」と呼んでいる片アームのパーソナルチェアは、ナラ材と鉄の組み合わせだ。お尻のほうが低くなっている座、扇形の背板、片側だけに取り付けられた斜め角度の肘置き。これらが鉄棒で支えられている。ゆったりした座り心地。鉄の弾力性とナラの堅さとが醸し出す妙味といえる。隠し味は、4本の脚の裏に貼られている革。畳の上に置いても大丈夫なように親切な配慮がなされていた。 背板全面がアルミの椅子がある。アルミの軽さや錆びない利点を活用した。背のほどよいアールの具合からか、座っても全く違和感はない。 アルミ製のランチョントレイ。これも意表をつかれた。ハンマーでアルミを叩いた跡が残っている。これがまた味わい深い。ふちは微妙にカーブがついた、はまぐり刃。伝統的な形を取り入れながら、実用的な仕上がりになっている。 ただ、いろいろな素材とコラボレーションするといっても、やっぱり木に対しては特別な思いがあるようだ。 「木工の主役はあくまで木。僕らは主役にはなれない。木を手伝う立場。僕らは道具みたいなもの、飽みたいなもんです。木であるなら、銘木のような価値あるものだけではなく、自太も割れも活かしてやらないといけない。木工家は木のよさにおんぶしてしまうことがあるけど、そこに甘えてはいけない」
現在の自宅兼工房は、20年ほど前に自ら設計して弟子たちと建てた。そのころ考えたのが、どういう生活スタイルにしようかと,いうこと。 「うちを建てることが勉強になった。廊下や押入れは必要なのか、ということから始めた。目指したのは、機能性重視の使い勝手のいい家。生活というものがあって、それにふさわしい建物がある。椅子やテーブルは、自分たちのために自分たちが使いやすいように作った」 そこから生まれたのが、「サークルテーブル・サークルチェアー」、「僕の椅子」であり、「娘の椅子」だった。 「椅子は、その人問が座っているスケッチから始めて、それに合わせて仕上げていく」 「例えば、箱。中身があっての箱です。伝統工芸品の出来のいい飾り箱であっても、何に使うのかというものがある。必要性がなくても作ってしまうのが、工芸のあいまいなところ。道具はあくまで手段として使うものであって、目的になってはいけない」 前田さんと話していると、美ヶ原の山間での生活の中から生まれてくるものを形にしていこうとする姿勢が、熱く伝わってくる。「モノを売るというより、コトを提案しようという考え。こういう生活には、こういう道具が必要じゃないですかと」 これを端的に表しているのが「DISIGNED FOR MY DAILY LIFE」という前田木芸工房のコンセプトワード。伝統工芸の世界に留まらず、柔軟な発想で使い手の立場を思いながらコトを創り出すのだ。
2005年秋、前田さんはNPO法人を立ち上げた。若い作り手たちの育成が目的だ。現在、前田さんの工房には住み込みの研修生が4人いる。食事は当番制でプライベートルームは工房の二階。まさに寝食を共にする。 「今のままだと、いいものは残らないし伝わっていかない。未来を作り出す若者に、伝統的な木工技術を伝承していきたいんです。学校で短期間に技術だけを学んでも、なかなか身に付かないし、ひとり立ちするには時間と経費がかかる。このままじゃ、文化が途絶えてしまう」 このような危機感もあって、前田さんは以前から研修生を受け入れてきた。さらに人数を増やしていきたい気持ちから、協力者を募りNPO法人化したのだ。 「共に暮らし、仕事をすることで、技術以外の面でも学んでほしい。僕が面倒見られないところは、研修生の先輩が後輩の面倒を見る。まあ、昔の兄弟子と弟弟子のやり方を現代風にアレンジした形かな」 江戸指物の伝統技術を受け継いで、既成概念にとらわれず新しい作品を生み出していく。後世に技を伝えたい、若手を育てたいという使命感にもあふれている。つくる、伝える、育てる。しばらく、忙しい日々が続きそうだ。 |